秋の夜長にこころを奏で
一週間ぶりの「照和伝説NAGOYA」のLIVEがやってきた。
デザイナーのルイギンコのヤツは何だかヒイヒイ言ってたけど、僕にとってもこの一週間は
とても早く過ぎた気がするなあ。
いつもLIVEの時には楽しい気分と反省の気分とがないまぜになって帰って来る。
でも、決して暗い気分じゃない。
むしろ、LIVE終了後も楽しい気分は続き、浮かれて帰ろうとした時に自分の声が聞こえるんだ。
「おい、今日は本当に良かったかい?」
楽しい気分はその日、聴きに来てくれたお客様や共演者からもらい
反省する気持ちは、その日の自分のステージの結果から与えられる。
当然ながら、すべてが思惑通りに行くステージなんて無いし、また、予定された通
りに
できたとしても、それがLIVEとしてはたして良かったのかどうかは疑問。
僕はいつも自分の心の中で「もっと勉強して来ます」って気持ちを心の片隅に残す事ばかりだ。
歌い始めて半年。僕は最近、自分にとって、毎週御世話になっている「照和伝説NAGOYA」の
大きさを感じ続けているところ。
毎週、歌うという事は様々な気持ちを生む。
過去にこういうペースで歌わせてもらった事は無い僕だからね。
昔、歌っていた頃の僕は月に一、二回ライブハウスに通
うペースだったけれど
それでも自分が毎回同じ歌を歌い、新曲が半年もできない時には焦ったりした。
聴きに来てくださるお客様に飽きられるんじゃないかと気になり
「また、この歌か」と思われるのが恐かった。
「照和伝説」の池田さんは言う。
「毎回毎回、俺達が歌っている歌でも、お客さんにしてみたら新曲と同じだよ」と。
僕が「今日も同じ曲しか歌えませんけれど・・・」と言った時の返事だった。
そう、僕の歌はメディアに乗って日常で流れている訳じゃ無い。
街角を歩いていて、それとなく人の耳に残り、ふと口ずさんでもらえるような歌じゃない。
誰も知らない、その日LIVE会場に訪れてきてくれた人だけが
偶然耳にする「肩書きの無い歌」なんだ。
僕は池田さんからこの言葉を聞いた時、始めて自分の歌が愛おしくなった。
もうひとつ知ったのは、今さらだけど「歌は生きている」という事だった。
「毎回新曲」という言葉にはもうひとつ意味があると感じる事がある。
おなじ曲を毎週歌っていると、自分に馴染んで来たり、自分から離れて行ったり
日によって距離感が違う事を体験する時があり、驚いてしまう。
もともと、歌が下手な僕はどの曲も自分で作ったくせに上手く歌えない。
家で練習していても「もう、アカン」と思う事がよくある。
そういう僕の心の内を知っているのだろう池田さんは、最近よく僕に言う。
「ルイギン、上手く歌おうと思うなよ。歌なんて音が外れたって構わないんだ。
自分の思いで生まれた歌なら、その自分の思いで歌えばいい」と。
僕はその言葉を思い出して、家で歌ってみる事がある。
そんな時、変な力が抜けて「歌」との距離が縮まり、気持ちよく自分の中から外へと
流れ出てくる事があった。 気負いもこだわりも無く自然に。
「歌」がそこに自然に遊んでくれている。
僕はきっと、毎週ステージに立てるこの状況がなければ気づかなかっただろうなあ。
「照和伝説」がなければ気が着かず、池田さんと出会えなければ知らなかった歌との距離感だ。
昔、僕がステージを降りた理由は何だったのだろう?
芝居が魅力的だった事は確かだけれど、何か歌とのおつきあいが上手く行かない気がしていたのではなかったろうか?
この一週間、あっと言う間に時間が過ぎた。
この火曜日に僕は、今度のステージでは「演歌」を歌おうと決めた。
その気持ちの中身は先日の火曜日の日記にも書いた。
僕は「歌」にジャンルは関係ないと思う。「歌」は「歌」だ。それ以外の特別
な何かじゃ無い。
「歌うこと」はたいした事じゃ無い。人前であってもカラオケであっても鼻歌であっても同じように楽しい。
技術やお金や名誉がからんでいない音楽は、平等に優しく楽しい。
こころの中から生まれ、誰かのこころにしみ込んでゆく事を遊んでいる。
そういう気持ちを忘れないようにしながら一週間過ごしてきた。
今夜はいつもの「チャッピー大嶋」(何でチャッピーなの?)がいなくて
僕は平常心で楽屋入りした。
池田さんも、はじめちょっぴりおとなしかった。いつものように僕のギターを奪ったりしないのだ。
・・・・・物足りなかった。
もしかしてイタズラ仲間の相棒「大嶋芳」がいないせいか、と思ったがどうやらそうではないらしい。
彼は僕達ライブハウスで歌う人間と、そこに来て下さるお客様の心について考えていたのだと思う。
音楽という不思議なモノについて思いを馳せていたのだと思う。
この一週間、彼は心の中で様々な旅をしてきたのではないか。
僕が会った瞬間はたまたま、ほんの少しひとやすみしていた時だと思う。
その予測はあたった。
音合わせが終わりいよいよ本番が近づく頃になるといつものパワーが彼に宿ってきた。
明るく口の悪い池田利明ができあがった。
僕は当然、身の危険を感じて目をあわせないようにしていた。
今日のトップは「癒しの歌姫」倉谷梨里さん。
彼女の持つ生命の存在を見つめる不思議な感性で、少しずつ少しずつ僕達を愛の世界に誘う。
彼女から生まれる言葉やメロディは、彼女の心を通して
その彼方にある宇宙の神秘を一つずつ解きあかしてゆくようだ。
今夜は前回御会いした時より少しはお話ができたので嬉しい。
僕は「月」のイメージが好きな人間なので、彼女の世界が大好きなんだ。
今夜は僕のカミさんのいちごさんと息子が来てくれた。
僕が倉谷さんのステージを聴こうと楽屋から客席に回ろうとしたらお店の前にタクシーが止まった。
「おっ、お客さんだ。では扉を開けてエスコートを・・・」と思ってお店の前で待っていたら
なんと自分の家族だった。
東山の方のお祭り会場から来たと言って、息子はそこで買ってきたおみやげを僕にくれた。
「光る腕輪」だ。ふたつあって、もうひとつは池田さんに、という事だった。
ステージで池田さんは左腕に、その腕輪をまいて登場してくれた。
僕のステージの時間が来たので楽屋に回ろうとしたらカミさんが手招きをする。
何?と聞いたら「早めにステージ終わってね。池田さんの歌をたくさん聴きたいから」ってどういう事じゃ!
自分で思っているのと、現実が食い違うという体験は今までに沢山した。
今夜も、家に帰って自分のビデオを見たら、思っていたのと現実のステージが
あまりにもかけ離れていてひっくり返った。
この反省点は次回に向けて改善努力。
さて、いよいよ池田さんのステージ。
今夜のステージも中身が濃く、いつにも増してお得だった。
池田氏の歴史を綴るように構成されていたからだ。
山口から東京、そして九州福岡へ。「照和」で様々なミュージシャンと出会い音楽と暮らす。
その中で生まれて来た歌たちが次々と披露された。
彼の人生を変えた「照和」でのオーディション通過の名曲「しゅわっち!」では
その歌に登場するウルトラマンに敬意を表して、何とウルトラマンを小瓶の中に生け捕りにして来た。
小さなガラスビンの中でウルトラマンは三分以上経過してしまい
しかも、空気穴を開けていなかったため元気がなく可哀想に思えるのだが
池田氏は堂々とその小瓶を脇に置き、熱いステージを展開した。
終盤は彼の名曲が続く。僕はこみあげてくる感情をどうしようもなかった。
毎回、ステージを聴かせてもらい
まさに、毎回、始めて聴くかのようにいつも新鮮に心に突き刺さってくる歌。
倉谷さんの歌。池田さんの歌。こころから解き放たれた歌たちは
僕達が子供の頃、何かを初めて体験する時の驚きや感動に満ちている。
僕はここに存在していて良かった。
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