2004.01.15 Thu.
rui★ginko 故郷に帰る
私は駅の改札を抜け、懐かしい街並を眺めた。相変わらずの田舎だった。
でも、自販機もあるし、自動車だって駐車してある。
喫茶店がないんだな、これが。あ、コンビニはあるよ。すごく遠いけれど。
どういう訳だか、平日なのに、お店がほとんど閉まっていた。
正月やすみ?まさか。
ここがメインストリートである。車も走ってるでしょ?
自慢できる名所もあるよ。
ここは、懐かしの邦画ファンなら誰でも知っている
映画監督 吉村公三郎監督の生家である。
私の田舎は宿場町であった。
この通りは中山道。21世紀の今でも江戸時代の頃と風景が似ているかも知れない。
それにしても、どうしてお店がお休みなのか?謎である。
ここは江戸時代から続く伊吹もぐさの老舗「伊吹堂」
安藤広重の木曾海道69次の浮世絵にも描かれている。
この格子の中、店内では今でも「もぐさ」を袋に詰め、
作業をする人の姿が見られる。
何年か前、仕事で使う為の映像を撮影する為に、この街を訪れる観光客の群れに混じって
ビデオカメラをセットし、始めて訪れた旅人のフリで店内の人に許可をお願いした。
「あら!吉田さんとこの・・・○○ちゃんやないの」
ば、ばれ・・・てる?
「あれ、ほんまやほんまや、ちょっと、あんた、○○ちゃんやで」
こら、他の人、呼ばんでもいいから・・・。
「あ、どれどれ・・・ああ、ほんまや、おおきゅうならんしたなア・・・」
「は、まあ、・・・随分、大きくなりました・・・」
私が鼻タレ小僧だった頃から、すべての悪行を御存知のおばちゃんたちであった。
気づかれるとは思っていなかった。田舎はあなどれん。
ところで、この店内には有名なモノがある。
かの荒俣宏センセイも取材に訪れているシロモノなのだ。
それはこれである。
すまん、恐い写真ではない。
ガラス越しに店内を撮影したから外の風景が写り込んだだけである。
この人は、はっきり言ってでかい!
座っているのに天井まで届く程の大きな「福助人形」である。
江戸時代に、このお店に働いていた従業員をモデルにしたと言われていて、先程の広重の浮世絵にも描かれている。
さぞかし、この従業員が立ち上がったら迫力があっただろうと想像する。
で〜たらぼっちか?
それにしてもここも今日はお休みか?
まあ、おばちゃんたちに「あれまあ、大きくなって・・・」と声をかけられなくて良かったと思う。
おっと、実家に急がなきゃ!
道草を食うのは子供の頃からの癖である。
つくづく田舎である。この川の名前は「天の川」である。う〜む。
いかにも宿場町である。営業しろよ。
中山道を脇道に入り実家へと続く道。狭い。寒い。
どこかのおばあちゃんが歩いていたが、雪解けの固まりが屋根から
すぐ近くにドサッと落ちてきても悠然と歩いている。
私はビビッたが・・・みんな慣れてんのね?尊敬する。
ほら、ますます人家が減って来た。この道の先、坂を登ると実家。
坂の上に国道が通っていて、その脇に生家がある。
やっとついた。
国道添いに誰かが雪解けをしているな、と思ったらオフクロだった。
なに、ポーズ決めとんじゃ?
「ふらふらとあちこち寄り道ばかり・・・」
撮影しながら歩いてきた姿をチェックされていたらしい。
「さっむいな〜」
「今日はぬくとい(暖かい)よ」
「これが、暖かいのかよ〜」
家に入って祖母と母と話。
私は、今日夜の七時には名古屋に帰っていて、息子を迎えに行かねばならない。
現在時刻二時過ぎ。三時間程しかいられない。
二年分ぐらいの話題を一気に喋る二人。のいるこいるの漫才のように答える私。
父が出先から帰って来て、しばらく話す。
父は結構器用で、実家の修繕などを自力でこなす。
その話題で過ごしていたら外に出てその箇所を見せようとする。寒いのに・・・。
先に立って案内する父。さ、さむ〜。
仕事ぶりは玄人はだしの良い出来だった。
こ、こんなんだったんだもん。
家の庭に住んでいる白雪姫の七人の小人。父の趣味。
家に入ったら人形の数々。父の趣味。
これも父の・・・ちょっと待て!なんでこのブタ、胸をはだけてるんだ!
やっと伊吹山も晴れて来て、黄金色の夕陽に輝いていた。
今日も一日が暮れてゆく。
そろそろ時間が迫ったから帰る事にするよ。
母と祖母に挨拶をし、正月のモチを持たされ・・・
そうそう、私の古いギターが部屋に残っていた。倉庫に仕舞っておくか?と聞かれて
出してみたら結構使えそうだったので
名古屋に持って帰る事にした。
ビニールのギターケースのファスナーが閉まらなくて
ださ〜い袋にギターの下半身を入れて抱えて帰る事にした。
何故に、こんなに恥ずかしい思いをしてまで持って帰る事にしたかというと、
私の友達、ジョーさんが何を血迷ったか、いや、ごめん。
何にとりつかれ・・・いや・・・何か思うところがあって
ギターを勉強したいと言うのである。
ギターなんて安物で充分なのだ、と思う私は、
もしも彼女の気が向いたら使ってもらおうと思い付いたのであった。
はずかしかったよ〜。持って帰るの。
でも、音はすごく良く、年月が経っているにもかかわらず綺麗であった。
私はかつてこのギターとともに旅をし、様々なライブハウスで歌っていたのであった。
やはり、故郷は時間を越えさせる。
ギターをださく抱え、モチを持った私は、父の車で駅まで送ってもらい
ひとときのやすらぎから、また慌ただしい日常へ戻る電車に乗り込んだのであった。
RETURN